れーぞん・でーとる

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他人の人生を生きて何の意味があるのか?【岡本太郎】

 

こんちは!現在、青春18切符で東北旅行中のわたぽんです。

今回の旅中、岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」を読みめちゃくちゃシビれたので、引用しながら書いていこうと思います。

 

 

本当の「生きる」とは?

ただの生ぬるいサラリーマンになることは用意だ。

しかし、そこでは本当の自分をごまかして、画一化するより他はないのだ。

それよりも、自分の目で見て、手で触れる、だからこそ危険な道を切り開いていくべきだ。

決して遅くはない。諦めて、投げ出してしまってはならない。

あえて敗れることを決意して、社会にぶつかるのだ。

それによって、さらに大きな、輝かしい人間像を形成していくのである

 

感情が大きく揺さぶられました。

30年前に吐き出されたこの言葉が、まさに本質を突いていたから。

 

ぼくは先日、4ヶ月続けてきた長期インターンをやめました。

単調な毎日に対する違和感に耐えきれなかったのです。

そして、今はブログに熱中しています。

 

現代の世の中で、就職をせずにやりたいことで生きていくのはそう簡単には思えません。

けれど、周りの目を気にして、安定した生活のためにつまらない仕事をこなして、惰性的に日々を過ごすことが果たして正しいのでしょうか?

本当に生きていると言えるんですかね?

 

他人の人生を生きること

何も会社で働いている人をディスっているわけではありません。

はっきりとした目的意識と熱情を持って仕事と向き合っている人を何人も知っています。

 

ぼくが疑問を呈しているのは、納得いくライフスタイルの追求を諦め、自分の人生を捨ててしまった人たちなのです。

彼らは理想と現実とのギャップに屈し、戦うことを途中で放棄してしまったようにぼくの目には映ります。

 

安全な道を取り続けチャレンジをしない状態は「自分の人生」を生きているのではなく、「他人の人生」を生きているだけ。

親が子に望む人生、先生が生徒に望む人生に他ならないのです。

そこにはいつも虚しさが顔を見せます。

 

瞬間、瞬間にぶつかるということ 

人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。

死ぬのもよし、生きるもよし。

ただし、その瞬間にベスト尽くすことだ。

現在に、強烈に開くべきだ。未練がましくある必要はないのだ。

 

安定志向の人は、老後の心配ばかりをし、起こってすらいないアクシデントに備えて保険に加入します。大企業で40年間勤め上げることがゴール。

 

反対に、過去にすがる事もしばしばあります。

「あの頃は良かったなあ・・・」と、安居酒屋で昔話に花を咲かせるのです。

 

決して今をおざなりにしてはならない。

 

いくら厳しい道であろうと、たとえご飯が食べられなくても、今という瞬間にベストを尽くさない限り、自分の人生を生きているとは言えないのです。

 

ぼく自身、社会のレールから外れて、いわゆるエリートコースから脱落して、自分の人生を生きるために日々活動しています。そして、それは明らかに険しい道のり。

けれど、他人の人生を生きて、生涯を終えたくはない。

だから、瞬間瞬間に全力でぶつかり、孤独に戦い続けるのです。

 

人生に悩んでいる人は必見!

そんな中で岡本太郎さん著の本書を読み、改めて自分の意志が固まり、やるべきことがさらに明確になりました。

 

サブタイトル「あなたは"常識人間"を捨てられるか」にある通り、常識外れの夢や目標を持っている人にオススメです。きっと背中を力強く押してくれるはずですから。

 

人生に悩んだ時は、是非読んでみてください!